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 国や市町村の「木」がある様に、アイコクアルファにも木があります。それは「アカシヤの木」です。昭和30年頃、現在の第2工場の敷地内に男子寮がありました。寮と工場の間には、アカシヤの並木があり、当時から親しまれていました。ところが昭和34年の伊勢湾台風の時、暴風雨で工場の屋根が飛び、アカシヤの木も倒れかけました。そんな中、男子寮のだれ彼ともなく、「工場を守らねば、アカシヤの木を倒すな。」と頭に座布団を縛り付けて飛び出しました。誰の指示を受けた訳でもなく、皆の力を合わせて工場とアカシヤの木を守り抜きました。そのおかげで翌日から生産が再開でき、納入先からも大変大きな信頼を得ました。
 以来、「アカシヤの木」がアイコクアルファの木となったのです。こうして今、アイコクアルファという「幹」に4つの事業部の枝が伸び、その枝にはたくさんのパートナーの「葉」が生い茂り、アカシヤの木の成長と共に、アイコクアルファも世界企業へと成長しています。
(我々が「アカシヤ」と言っている樹は、植物図鑑などによれば、「ハリエンジュ」(別名ニセアカシア)と言う樹だそうであり、本当のアカシアは一般的に「ミモザ」と言う樹だそうですが、我が社では昭和33年に制定され、現在でも歌い続けている“アカシヤ会の歌”の中で「アカシヤ」と呼んで親しんで来ましたので、あえてアカシアではなく、「アカシヤ」と呼んで、これからも大切に守り続けて行きたいと思います。)

≪写真の森は会社の敷地内にあり, 『アカシヤの森』として整備されています。≫


    
 『昭和三十四年、自転車部品メーカーから、より技術水準の高い二輪車部品製造に業種転換をはかっているときであった。ちょうど世間は岩戸景気にわき、他社では多額の賞与が支給されていたが、設備の更新と新技術の習得に金をかけていた当社は、どうやりくりしても賞与を捻出する余力がない状態であった。やむをえず、銀行から借入れてささやかな額の賞与を支給することにした。 (中略)ところが、その事情を知った若い社員たちが、こぞって自分たちの賞与を設備購入資金として拠出してくれたのである。』 ≪1983年4月号『経営者』より≫
 経理の公開の後、アイコクでは本田技研工業(株)のオートバイ部品の生産を手掛け、やがてスーパーカブ・ブームが始まりました。そのため多くの機械が必要となりましたが、資金の調達に余力がなく、頭を悩ませていました。
 そんな時、従業員の一部から「自分たちのボーナスを出し合って直立ボール盤を買おう」という意見が出され、1959年(大卒初任給1万円以下の頃)当時、約34万円の資金が集められました。
そして、この従業員の自発的協力が、金融筋の信頼を高め、バックアップが得られる大きな力となり、スーパーカブ・ブームを乗りきることが出来ました。
≪この話は、1985年10月発行のアイコク社史「経営のあゆみ」にも、「アイコクの誇り」として2ページにわたって記載されております。≫
 

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